その新しいお隣りさんだが、家族構成がどうなっているのかさっぱり分らない。
引越しの挨拶には来たのだが、奥さん?だと思うがどなたが世帯主
なのか良く分らない。昔だったら気軽に家族構成など聞けたのだが
そもそも既に20年ほど前からあまり立ち入った話などしない。
いつも姿を見るのはおばあちゃんらしい人。それとお嫁さんらしい人
と息子が二人?居るようだが・・・。
不思議な事に駐車場に止めてある車が時々違うのだ。
少なくとも3台入れ替わる。
もしかしたらおばあちゃんが一人で住んでいて、毎日違う人が
様子を見に来るのか?色々考えられるが今のところ良く分らない。
そんな新しいお隣りさんのおばあちゃんが、何かにつけ
物をくれるのだ。初めはご挨拶程度でお近づきの印でそのように
するのだろうかと、うちのお袋もいやいやながら頂いた。
だが、ちょっと話し相手をすると、その都度物をあげようとする。
お袋は断り文句として糖尿病だから、食べ物は管理して食して
いるので、「あり難いがお気持ちだけ頂きます」とさり気なく断っていた。
そうすると今度は食べ物ではなく「物」を上げると言い出した。
それもさりげなく丁重に断った。
それで大体、こちらの気持ちも分るだろうと思っていたところ
また、しばらくして食べ物をくれようとする。ちょっと挨拶程度の話をしても
そのおばあちゃんは物をくれようとするのだ。
これには、お袋も困った。これははっきり相手にその意思を告げないと
分らない人なのだと・・・。
それでお袋ははっきり理由がなく物を貰ったりあげたりする事を
快く思わない。で、きっぱり断った。だが伝わったかどうか分らないが・・・。
多分お隣りのおばあちゃんは、悪気はないのだろう。だが物で何か
繋がっている寂しい人かもしれない。そんな事をしなくても普通にお話しも
出来るのだが、凝り固まったお年寄りには中々難しい事かもしれないなぁ、と思う。
私が子供の頃はご近所さんは親戚同様の親しい付き合いだった。
醤油を借りたり一緒にお昼をご馳走になったり、家族で旅行に行ったり・・・。
都会では良く隣りに誰が住んでいるか分らない何て事が「そんな馬鹿な・・・」
と思っていた。
だが都会的(無関心)になった今では、それも馬鹿な話ではなくなった。
↑続きを隠す