子供が母親に「ママこんな虫を捕まえたよ。見て見て!」と
捕まえた虫を見せる。
母親は、嫌いな虫でも子供が捕まえてきたので子供の心を
傷つけないよう「うん、凄いね」と心遣いをする。
だが、子供がもし他人に同じ行為をして他人が嫌がっていたら、
母親は、子供に分るように諭さなければいけない。
しかし、これは子供への対応であって、大の大人は
他人の気持ちを考え、どうあるべきか節度を持って弁えなければならない。
へんてこりんな虫を見たくもない人に見せびらかせると
周りの人は退いていく。それでもその愚か者は何を勘違いしているのか
よりいっそう勢いを増し、凄いだろうと皆に見せびらかせる。
ある人が綺麗な蝶を一匹見せたら、捕まえ方を知らない愚か者は
知ったかぶりで捕まえ方を真摯にたずねようともしない。
悔しくてそして負けまいとへんてこりんな虫を繰り返し繰り返し捕まえ
てきては披露する。
捕まえられない理由を正当化するかのように言い訳を並べる。
しまいには綺麗な蝶の隣にまで割り込んで並べてしまう。
痺れを切らせてそれを窘める人が現れると
愚か者はその名の通り愚かな持論を展開する。
愚か者はそれを繰り返し周りから友人をどんどんなくしてしまう。
他者を不快にさせた責任は管理者にもある。
管理人は表向き「良い人」を演じてばかりではいけない。
そのうち今度はその対応に愛想つかした人が少なからず離れていく。
まぁ、それはそれで外面を気にする管理人にはどうって事は無い
のかもしれない。少なくとも私は、馴れ合いで上手くいっている
輪を崩すつもりもないし、馴れ合いの場所にどっぷり浸るつもりも無い。
そこまでコミットする気はないのである。
それにしても大人のずう体をした子供は始末に悪い。
それと同じくらい嫌なのが、今まで人の影に隠れていたのが
便乗し肩口から騒ぐ人間。
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