2005年09月28日

テリトリーへのとじこもり

家にとじこもると言う意味ではないが、社会性という意味で自分のテリトリーから出なくなった。
仕事柄家にとじこもる事が多いが、基本的に外に出るのが好きな私は、私なりに
違う職業の人と関わる勉強会やセミナーに以前(独身時代)は積極的に参加していた。
遊びでは、スナック、居酒屋にも良く行った。遊びはさておくとして・・・。

特に違う職種の人の出会いは、いろんな意味で勉強になるし視野が広がる。
個人の自営業という枠の中では社会性と言うものに無頓着になり易い。
企業の経営者や営業マンの話を聞く事、触れ合う事で少なからず違った社会性の
雰囲気は体感できる。そんな意味で違う職種の人と関わる事は、自分にとって価値
のある事だった。

だが昨今の私は、殆どそのような出会いをしていない。忙しい時の方が
よっぽど出会いを大事にしていた。
経済的にある程度余裕がないとそのような出会いの場にも足を運ぶ気持ちが
おきない。何をするにも金が掛かる。人に会えば交通費、飲んだり食ったり
すればそれなりに出費だ。

最近は、自分の仕事関係の人間達とも交流がない。以前はそれこそ月に
何回か遊びにしろ勉強会にしろ顔をあわせていたが最近ではめっきり声も掛
からないし、こちらからも声を掛けない。学術会など足を運ぶ気力も失せた。

その代わりインターネットでの関わりが増えている。
と言っても最近それもマンネリの観があるのだが・・・。
インターネットでの関係はそれ以外の関わりは無い。時間的束縛はないが
それだけに希薄な人間関係だと言える。そのポジションでいるからこそ
それはそれで居心地が良いのかもしれないが・・・。
生身の人間と接する事は、それなりに社会人として自覚と責任が生じる。
インターネットでのネチケットより確実に責任の意識は違う。
ネットで知り合って実際に交流するにはそれなりに責任を、より意識する事
になるだろう。だから容易に交流をもつ事をしないのだと思う。
しかし、ネットに依存しとじこもりになるのは気を付けなければならない。
悪い見本がたくさんネットにはある・・・。

因みに「ひきこもり」は新語として最近国語辞典でも登録されたようだが何故に
「とじこもり」とはならなかったのだろうか?

今日も仕事の合間に相方と50分ほどウォーキングに行った。二人である事無い事
しゃべりながら時には大声で笑いながら歩くとストレスも開放され気分爽快なのだ。
心地良い運動は特に努力もいらないストレス対処法だと思う。先ずは身体を動かす
事が一番のストレス解消になると思う。
我々の性格は違うが価値観はある程度一致しているので生活するのも楽だ。

なんだか少し話が脱線してしまったような・・・。

Posted by c-bird at 2005年09月28日 00:05
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