2005年03月27日
ヨガボール
なんていうのを買って来ました。本当はお袋に頼まれたのですが、どうも大きさが
違う物だったようで、しょうがないから私が使う事にしました。
このボールは簡単に言うと風船のでかぶつです。
これに座っても私は転がらない。たぶんバランス感覚が良いのでしょう。
というとデブだからボールが押しつぶされて転がらないのだ。なんて言われてましたが
そうではありませんよ。(笑)
色々ストレッチや運動に良いらしいのですが、その他に私は、良い使い方を発見しました。
コタツなどで座っているとき背もたれとして凄く便利です。このボール素材がすべらないような
素材でもたれても上手い具合に背中にフィットしてデブには便利です。
空気の入れ具合で背もたれの感覚も調整できて良い感じです。
C・バードです。バランス良いでしょ。 ともです。すぐ転がります
2005年03月26日
toto見事に外れました
結果は13分の5でした。5試合しか当たりませんでした。
1億円は夢となってしまった。というか1等74,293,182円でした。
今回は、見事全て当てたのは1口だけでした。と言う訳で繰越は無し。
でもめげず今度は、2005Jリーグ ディビジョン1第3節にまた賭けます。早速シートを貰ってきました。
年収300万円もあればまだ良い
またしても去年の年収はサラリーマンの初任給よりも劣る。
毎月の売上で概ね年収なんて予想できるのですが得意先が1つなくなると約15万円万から30万円
は無くなる。年にすると180万円から360万円のも違ってくる。
自分を殺して我慢して仕事引き受けるかそれに我慢できず止めるか、それは個人事業主の
判断によるので、責任は全て自分に掛かってくるのは当然です。分かっているが下請けは辛い。
しかも私の職業は若い頃から徹夜徹夜、それで日曜祭日も殆ど仕事。それだけやっても
年収は、サラリーマンの平均年収とさほど変わらない。いやそれ以下です。
毎月の給料と言う形では、一見多い印象ですが、ボーナスもなんら手当てもなく年間でのトータル
は労働力の割りには全く報われない。サラリーマンの平均かほんの少しそれ以上に行くには、
それこそ死に物狂いで寝ずに仕事をしなければならない。物作りの仕事は、1つ作ってなんぼの物
幾ら時間を費やしても出来ない限りお金には、ならない。
昔何かで見た漫画を思い出す。4コマ漫画だったか・・・
ある男が食事をしている。沢山食べているその男は、かなりのデブ。
だが、食事後、その男がトイレに行く・・・。
トイレから戻った男は、ガリガリのやせっぽちの男。
またその男は、食事をする。そうするとまたデブ男になる。
そしてまた・・・
なんだか私の仕事とダブってしまう。
公示送達(こうじそうたつ)
耳慣れない言葉ですが法律用語の1つです。
民事裁判で相手の住所が分からない場合、訴訟が出来ませんが、
そんな時「公示送達」(民事訴訟110条)という制度がある。
※「送達」、訴状を相手(被告)に送ること
公示送達が認められた場合「欠席裁判」となり原告の請求が認められるが
簡単には、公示送達の申し立ては認められない。
つまり本当に被告が行方不明か十分調査しなければ裁判所は認めない。
※公示送達は「小額訴訟」では出来ません。
2005年03月24日
久しぶりにtoto買う
といってもシートにマーキングしました。明日機械に入れればOKなんです。
155回totoナビスコカップ&J2を予想。
1枚で10口(1口100円)予想できるのですが、かなり真剣にでもせこく3口
にしました。10口やるとどうも予想がいい加減になるようで。
3口に夢を託して当たれば1億円か!俺に風よふけ!なんつってね。でもかなり真剣。
毎日更新(日記を書く)
日記を書くのは、精神的ストレスを抱えている人のリハビリには逆効果らしい。
そう言えば精神的病を持つ人が逆に日記を書いているように思いますが、違うかな?
書く事なければまたは、書く気持ちがなければ無理して書く事もないですね。
でも、なんでインターネットでわざわざ日記のような物を書くんだろうなぁ。
その心理は、なんだか分っているような分らないような。
相方は、毎日日記帳にも日記を書く。相方曰くもう殆ど癖のようなものらしい。
日記を書く事で過去の出来事を思い出す事へのきっかけ目印になるらしい。
そうかもな。とも思う。
2005年03月20日
災害の時のお見舞い電話は要注意!
心配だと言う気持ちは誰でも同じでしょうが、緊急の時以外は、お見舞い電話や
メールを打つのは、控えたほうが良いと思います。回線を混雑させる事になります。
そのため本当に緊急の電話が繋がらない事になります。
電話する側は自分一人でも被災者にとっては、何人何十人から一斉に電話が来る事になります。
その辺を考え少し冷静に対応したいものですね。
墓参り
今日家族3人で先祖の墓参りに行った。うちから車で15分ほどのお寺さんに私の
先祖の墓がある。元々私の先祖の出は、今住んでいる土地ではない。
何せ親戚一同はどうしようもない貧乏人で、無頓着で墓守もまともにやらない。
というか墓すらなかった。お寺にずっと遺骨を預けっぱなしのばちあたりだ。
そんな親戚に任せられないと親父はこちらで墓をたて先祖を納めた。
死んだ親父が生前良い事をしたひとつだ思う。
今では、その親父もこの墓に眠っている。お袋と親父は、今では、夫婦ではない。
親父が死ぬ5年前にお袋は泣く泣く離婚した。所謂熟年離婚だ。
それでもお袋は、親父の先祖の墓を守っている。私は、仏ほっとけの方だが、お袋のために
年に3回墓参りに行く。線香もあげない私だが、1日1度は親父が頭のどこかに現れる。
いつも笑ってる親父の顔しか出てこないのは、なんとも皮肉なもんだ。